茶者南方之嘉木也。
陸羽著、「茶経」の冒頭にはそう書かれている。
茶とは、南方の嘉木である。
嘉木とは、呉覚農氏の『茶経述評』では、
中国古代では往々植物の美徳を賛頌するのを借りて人にたとえる。
この『茶経』の「嘉木」はこの語で茶をほめたたえ、これを自身になぞらえ、
その著作である『茶経』に「経」と名づけ陸羽の自負を説明し
また陸羽の茶に対する尊崇を明らかにした、として
また「嘉木」の2字は
最優良の樹木
或いは
もっとも珍貴な樹木
などという言葉を超越した内容を持つとしている
(布目潮シ風著『茶経詳解』より)
これによれば、茶とはつまり中国南方にその源を発し、
陸羽のころ(唐の玄宗の開元年間)にはすでに
嘉木、ただのすばらしい樹ではなく言葉を超越した
ある種哲学にまで昇華された存在であったようだ。
許愼著『説文解字』によれば
茶という字はもと「荼」という字を書き、
「と」という音だったらしい。
また、「茗」という字は
「荼」の芽であるとされている。
すると、『茶経』などからも考察するに、
「茗」という字は「茶」という字の異体として広く使われているということになる。
実は現代の中国でも結構そうである。
ほぼ同じ意味で使われていることもよくある。
しかしこれ、
お茶を飲む上ではすべて全くどうでもいいこと。
ただ
お茶というのは、日本でも中国でも
飲めば飲むほどに奥が深く、知れば知るほどにのめりこむ
まさに「経」なのである。
しかし実はうまけりゃ何でもいいのである。